鋭読 〜英独のニュースから世界を読む〜

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1982年のウィンブルドン

 ウィンブルドンの季節です。日本人選手の活躍も気になるところですが、英国の『タイムズ』紙になつかしい記事を見つけましたので訳します。
 この記事は、25年前、つまり四半世紀前のウィンブルドンを回想しようというもの。当時、そして最近まで主審を務めていたアラン・ミルズに関する記事です。彼は、もちろん審判として評価が高い人ですが、それよりも、ウィンブルドンではマッチ・レフリーとして試合進行を司っていました。ですから、ゴリ丸の記憶では、テレビに映ったミルズ氏はいつもトランシーバーを持っていて、空を見上げては何事か連絡していました。
 24日付の記事 "Caught in time" 『ウィンブルドン 試合進行をコントロールする陰の立役者』です(記事原文はこちら)。

《翻訳開始》
(注:以下の翻訳文は管理人の承諾なく一部ないし全部の転載を禁じます)
1982年にウィンブルドンの主審を務めたアラン・ミルズ

 23年の間、アラン・ミルズは夏の2週間を、ウィンブルドンの空を見上げて過ごしてきた。1982年から2005年まで、オールイングランド・ローンテニス・アンド・クロケット・クラブ選手権のマッチ・レフリーとして、いつ試合を中断するかを決めるのが彼の仕事だったからだ。
 悪天候のために大会が中断されることが多かったので、ミルズは「レインマン(雨男)」として知られるようになった。彼の仕事は、雨の恐れがあるときに、コートにカバーをかけるよう指示することだった。世界中のテレビには、手にトランシーバーを持って決定を下そうとする彼の姿が映し出されていた。
 しかし、彼の仕事はそれだけではなかった。物静かなランカスター出身のミルズは、もっとうるさい抗議の嵐にも対処しなければならなかった。一番大荒れだった一人は、1995年のウィンブルドンで大爆発した短気なジェフ・タランゴ(米)だった。タランゴはアレキサンダー・ムロンツとの試合で、審判のブルーノ・ルボーに賄賂をもらっていると暴言を吐いて試合を放棄し、大会から失格にさせられた。タランゴには審判を殴ることはできないし、永久追放されるかもしれないと覚悟していた。だが、彼のフランス人の妻ベネディクテが代わりに審判を殴ったのだ。
 ミルズは思い出して語った。「あの事件で週末中がつぶれました」「彼はとにかく出て行かず、ずーっとしゃべり続け、あれこれと釈明しました。そして記者会見があり、すでに主審の顔のあたりを平手打ちしていた彼の奥さんが入ってきたのです」タランゴには罰金4万ポンド(860万円)が課せられ、翌年のウィンブルドンを含め、グランドスラム大会2つに出場できないこととなった。
 他にも強烈な選手たちにミルズの貴重な時間が費やされた。特にジョン・マッケンロージミー・コナーズは際立っていた。「彼らにとって最後のウィンブルドン間近だったので、少しはラッキーでした。私はマッケンローの大騒動や高額の罰金にはどれともかかわっていません。彼がかんしゃくを起こしたことしか覚えていなくて、あの素晴らしいテニスを覚えていない人がいるのは残念です」
 ミルズは、1981年にマッケンローが優勝し、主審のテッド・ジェームズを「下の下」だと呼んだときに副審だった。マッケンローが1984年の決勝でコナーズを6-1 6-1 6-2で撃破した試合の後には、ミルズはマッケンローと礼儀正しいやり取りをした。「私はいつもコート上に行って、準優勝者を慰めていました。でもジミーには話しかけられませんでした。完全に打ちのめされて、タオルで顔を覆っていましたから。彼には敗れたことが信じられなかったのです」
 「そこで、両親と祝って戻ってきたジョンの方に行ったのです。『おめでとう、ジョン。今まで見た中で、一番素晴らしいテニスだったよ。私の考えでは、君は4回しか凡ミスを犯さなかったね』彼はいつもの生意気そうな笑みを浮かべながら私の方を見て、言いました。『アラン、その通りだけど、凡ミスは2つで、あとの2つはボールのバウンドが悪かったのさ』これが私たちがやっと辿りついた関係だったのです」
 「トラブルがなければ、彼は私が見た中で最も才能ある選手でした。あのボールコントロールは驚異的でした。ピート・サンプラスたちのような高速サーブはありませんでしたが、非常に正確なサーブをしていました。チャンスを逃さず、ネットについたときには必ずポイントを制していました。必ずしもハードヒットはせずに、ボールをコントロールしていました。理性的な選手でした」
 フリッツ・ビューニング(米)もトラブルメーカーだった。1983年、彼は普通あり得ない要求をしたのだ。「その週の前半にフリッツとはちょっとした問題があったのです。彼は試合に敗れると、事務所に駆け込んで来ました。私は、問題を抱えた選手は誰でも来て構わないと言っていましたから。彼が入ってきて、どうするのかと思っていると、こう言ったのです。『あと何年かはウィンブルドンに出場するつもりだけど、今週私に対して起きたことを引きずらないで欲しい。ところで、更衣室のトイレットペーパーはもっと柔らかいのにならないかな』トイレットペーパーは別のに替えました」
 ミルズが思うには、彼自身が選手だったため、選手たちはミルズの前任者たちよりもミルズに敬意を払っていた。ミルズは17才の時にシニア・レベルでランカシャー州代表だったし、ウィンブルドンではベスト16まで2回勝ち進み、ロッド・レーバー(豪)に敗れている。また、1950年代半ばには、元チャンピオンのヤロスラフ・ドロブニーにも勝っている。
 「レーバーが渡英してきたときに、彼を初めて破った英国人になりました。あれはハーリングハムで行われた大会でした。トーナメント・ディレクターは、ロッド・レーバー対マルティン・マリガンというオーストラリアからやってきたスター同士の決勝になるように画策していました。結局は、アラン・ミルズ対ボビー・ウィルソンという、英国人同士の決勝になって、トーナメント・ディレクターはあまり喜んでいませんでしたね」
 ベースライン・プレイヤーだったミルズは、芝のサーフェスよりも、クレーの方が得意だった。「私のサーブは最強の武器ではありませんでしたし、クレーの方がショットをうまく打つ時間が取れたのです」
 クレーコートのある試合で、彼はギネスブックに載っている。デビス杯に初めて出場した時に、1ゲームも落とさなかった唯一の選手だからだ。ヨゼフ・オッフェンハイム(ルクセンブルグ)と1959年にモンドルフ・レ・ベインスで行った試合で、6-0 6-0 6-0で勝ったのだ。
 「キャプテンはジョン・バレットで、彼はコートの角に座っていました。第1セットで5-0になると、彼が言ったのです。『6-0 6-0 6-0では勝てない方に賭けるよ』私は『その賭けに乗りますよ』と言いました」
 「日当を3ポンド(650円)もらって、英国テニス協会が夕食費を負担してくれていました。ですから、日当の3ポンドを賭けました。次のコートチェンジで、彼は賭け金を倍にし、第3セットで私が5−0になると、最後の1ゲームには、それまでに私が出費した総額と同じ額が賭けられていました。だから勝たなきゃいけなかったんです。25から30ポンドほど(約6千円)を稼ぎましたが、当時としてはずいぶんな額でした」
 しかし、彼が給料をもらっていたのは、ウィンブルドンで、特に天候に関する仕事でだった。クラブは天気予報をBBCから直接入手していた。ミルズは大会を日程通りに終える責任者だったので、もっと正確な手段を使った。「コートの上の方にあるBBCの中継塔にいたカメラマンと連絡を取り合ったんです。彼はとても高いところにいましたから、2〜3マイル先まで見えて、天候がどうなるかを教えてくれたんです。彼が中継塔から降りてくると、雨天中断で大変になることがわかりました」
 そうなるとミルズはトランシーバーを握って事務所に連絡する。事務所ではナンバーシステムを持っており、全コートに伝えられる。2番は雨が降るという悪いニュースの番号だ。つまり、コートにカバーを掛けろという合図だった。
 71才になったミルズは評価の高い審判で、世界中で試合を裁いている。最近では、マイアミ、東京、ドバイ、韓国に行った。彼と、やはり元選手の妻のジルは今後2週間をウィンブルドンに戻ってきて、大会を観戦し、旧交を温める予定だ。
もし晴れたら? 「そうしたらゴルフに出かけますよ」「あの頃は全然できませんでしたからね」
《翻訳終了》

【ゴリ丸の感想】
 この記事の原題は "Caught in time" これは文字通り訳せば「試合を予定通り進めた」といった意味になります。caught と court をかけているのかも知れませんね。
 1982年。この年のウィンブルドンは、ジミー・コナーズが前年の雪辱を果たして、ジョン・マッケンローをフルセットの末に下して優勝。女子ではマルチナ・ナブラチロワがクリス・エバートに勝っています。
 私事ですが、この頃はゴリ丸が一番テニスを熱心にテレビ観戦していて、深夜にBSにかじりついていた覚えがあります。
 さて、ミルズさんですが、天候が安定しないウィンブルドンのマッチ・レフリーはたいへんでしょうね! 「なんであんなに不安定な気候の時にウィンブルドンをやるんだろう?」なんて、無知なあまりに疑問に思いましたけれども、イギリスでテニス大会を(屋外)で行える季節は6月がベストだそうです。真夏には、フランスほどではないにしても、夏休みのために観客が減ってしまいます。その他の季節は、もっと天気が悪いか、寒いか。
 また、判定を巡るトラブルや選手のマナー違反を裁くのもマッチ・レフリーのお仕事。最近は、こうしたトラブルの話題をあまり聞きません。たぶん、どの選手もジュニア時代から活躍しているので、マナー教育もしっかり受けているんでしょうね。

この稿おわり

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