このブログでも取り上げましたが、日本人のメジャー移籍について特筆すべきは、松坂大輔を巡る大騒動でしたね。そのポスティングフィーと契約金の高さは想像の域を超えていました。確かに松坂はボストン・レッドソックス加入後、活躍を見せているのですが、それでも、「なぜそれほどまでに注目を集めるような事態にいたったのか?」という疑問は根本的には解明されていないのです。
ひとつの見解が『ブリーチャー・レポート』というサイトに載っていますので、ご紹介します。5月9日付の記事で、 "The New Age Of Japanese Baseball Player Media Coverage" 『日本人メジャー選手のマスコミ露出に新たな時代』です(記事原文はこちら)。
あらかじめ言っておきますが、すご〜〜く長いです…
《翻訳開始》
(注:リンク、トラックバックはフリーですが、以下の翻訳文は管理人の承諾なく一部ないし全部の転載を禁じます)
1995年、日本生まれの野茂英雄は、村上雅則(日本:1964年)、チームメイトの朴賛浩(パク・チャンホ 韓国:1994年)に次いで、アジアから3人目の選手としてメジャー入りした。
アメリカにデビューしたシーズンに、彼はオールスターに選ばれて先発投手となり、また、新人賞も獲得した。この「ステロイド」の時代に、日本から輸入した選手がメジャーリーグの選手たちに伍して戦うことができることを証明したのだ。
彼に続いて、見事な発展を遂げていた日本のプロ野球で鍛え上げられた選手たちが大勢参入し、野球の趣が変わった。野茂が扉を開いたのに続き、他のメジャー球団も日本、韓国など極東諸国から選手を募るようになった。金炳賢(キム・ビョンヒョン)、伊良部秀輝、イチロー、松井秀喜らが次々にメジャーリーグに加わって様々なプレースタイルを持ち込み、新たなファン層を生み出した。
アジア人選手とアフリカ系アメリカ人選手の目立ち方の違いは、マスコミ露出の頻度である。アフリカ系アメリカ人が球界に加わり始めた当時、マスコミ露出は新聞、ラジオ、時折行われるテレビ放送に限られていた。アフリカ系アメリカ人が球界に迎えられなかった背景に人種偏見と差別待遇があったのは明らかだ。アジア人選手が徐々にしか球界に迎えられなかった理由は才能だった。
長年の間、アメリカのベースボールに固執する人たちは、アメリカでよりプロフェッショナルに鍛え上げられたアスリートたちと戦うのに、日本人選手には身体能力が足りないと見ていた。この固定観念がここ12年の間に克服されたのだ。
野茂英雄と佐々木主浩は新人賞を、イチローはMVPを獲得し、岡島秀樹と松坂大輔はレッドソックスの投手陣を支えてワールドシリーズ優勝に貢献。日本は2006年に行われたワールドベースボールクラシックで優勝した。過去12年間に起きたことによって、かつてメジャーでプレーし、監督も務め、現在は千葉ロッテマリーンズの監督であるボビー・バレンタインが何年も言い続けてきたことが証明された。
3年前、バレンタインは、日本の先発選手ならば誰を連れてきてもメジャーのチームを編成できると語った。「今や、少なくともそのレベルにあるのです。単にベンチ入りするだけでなく、何人もの日本人選手がアメリカで先発できます。ですが、みなさん(たぶんメジャーのスカウトと球団役員のことと思われる)は日本にやって来て、たった3試合しか見ずに『あの選手では無理だ』と言って、信じないのです。ですが、30試合見れば、『あの選手が欲しい』と言うでしょう」
メジャーの全球団の役員に「あの選手が欲しい」と言わしめた最近の2人の日本人選手とは、2007年の松坂大輔と2008年の黒田博樹だ。この2人の投手は日本球界でいずれも成功し、メジャーの大都市球団に移籍してきた(大輔はボストン、博樹はロサンゼルス)。
だが、マスコミの狂乱ぶりと注目度は、松坂大輔と黒田博樹とでは異なる。黒田が今季メジャーに加入したのはほとんど日本中を探した結果だ。「Dice-K」騒ぎは球界でノモマニア以来見られなかった動きだ。松坂と黒田は同様のピッチングをし、ボストン・グローブ紙が2007年に「黒田の方が松坂大輔よりも良いと思っている人もいる」(ニック・カファード 2007年)と報じさえしたのに、Dice-K(これ以降は松坂をDice-Kと書くことにする)の方がなぜあのようにマスコミに注目されるのだろうか。
日本の野球がどのようにしてアメリカ人の心の中にうまく溶け込んでいくのかを理解するには、これが明確にしなければならない基本的な問題だ。日本人選手が野球にもたらしたものは、野球の普及だ。今後5年以内にメジャーリーグを世界リーグに広げるために必要な次のステップが始まるのをわれわれは目の当たりにするだろうと言われている。アメリカにやって来た日本人スター選手たちに対するマスコミの取り扱い方が判断の分かれ目となるだろう。歴史的に見ると、アメリカは一般的にスポーツ界へあまりアジア人を受け入れて来なかったし、そのために社会一般でもそうであった。過去数10年間、アメリカ人はアジア人、アジア系アメリカ人に対して非常に紋切り型の印象を持っていた。これは「モデル・マイノリティー」と呼ばれるもので、アジアの人々は優秀で「社会規範に適合し、学校や仕事で成績がよく、よく働き、自分のことは自分でできる」ということを表している。
アメリカ人が1970年代から1990年代まで懸念を募らせて行ったのは、日本の経済的脅威だった。以下に示すのは、1991年に真珠湾攻撃50周年を記念してニューズウィーク誌にシリーズで掲載された記事からの引用だ。「50年が経ち、結局戦争に勝ったのはどちらなのかと訝しがるアメリカ人は多い。彼らの目には、日本人のビジネススーツ軍団が世界市場を征服し、アメリカの全産業を席巻し、一流企業の資産に自らの旗を立てていく姿だった。日本人は、かつてはアメリカ独特のものだと思われていた勤勉、質素、創意工夫といった美徳によって繁栄している。だが、彼らは時に姑息な手段によって成功をつかんでいるように見えるときもある」
この意見でもっともショックなのは、アメリカが過去200年間に行ってきた拡張と、日本を巡る状況が明らかに似ているとしている点だ。アメリカ人は「自明の宿命」というアメリカ人のためのことばさえ作り出した。アメリカ人は国境線を伸ばし、新しい土地、市場に進出し、他民族に自らの資本主義的民主主義的生活様式を押し付けるのは神に認められた宿命だと主張した。
しかし、いまや他の国々がアメリカから学ぶようになると、アメリカ人は彼らを遠ざけるようになった。他国にアメリカ方式を教えることはあっても、彼らが対抗してそうしたやり方をすると激怒した。したがって、野茂英雄やイチローら日本人アスリートがアメリカにやって来て、アメリカ人の国民的娯楽である野球で優れていると、取り乱すものもいるのだ。誇り、スポーツマンシップ、チームワークを教えてくれた、こうした優れたアスリートたちに対して「アジア人の侵略」といったフレーズが用いられ、「アメリカ人のゲーム」たる野球に対する侵略が行われているとされたのだ。
筆者は哲学者であり、精神科医であり、著作家にして野球の大ファン、ロン・ライファー博士と話をする機会があった。彼は40年代にブロンクスで育ち、ジャッキー・ロビンソンがエベッツ・フィールドでプレーするのを見たという御仁だ。彼はアジア人選手たちがメジャーリーグに徐々に受け容れられた過程をアフリカ系アメリカ人が球界に認められた過程になぞらえた。
「ジャッキーがメジャー入りするまでは、ネグロ・リーグの誰も知られていなかった。サチェル・ペイジはもしかしたら知られていただろうが、せいぜいそんなものだ。マスコミでネグロ・リーグの試合結果も書いた媒体となると、地元ハーレムの新聞しかない。野茂英夫やイチローのような選手がプレーしにアメリカにやって来たとき、状況は似たようなものだった。わたしは彼らが見出しを飾るようになるまで、彼らのことは全然知らなかった。だが、似ていたのはここまで。現在メジャーにやって来る選手たちは、ジャッキー・ロビンソン、ラリー・ドビー、ロイ・キャンパネラたちが立ち向かわねばならなかった人種偏見の酷い現実には直面していない。わたしは11才になるまで、当時盲目的人種主義が起きていたという認識がなかった。数人の友人とポロ・グラウンズから歩道を歩いていると、60代の身なりの良いアフリカ系アメリカ人の男性がやって来るのに気付いた。彼は歩道から外れて溝を歩いてわたしたちを通した。わたしはびっくりした。たった11才の子供だったのだ。『ガキどものためになぜ歩道を譲って溝を歩いたんだ?』と思ったのを覚えている」。
このようにアジア人選手たちはアフリカ系アメリカ人が直面した偏見や憎悪に対峙する必要がなく、その代わりにより間接的な障害に対峙しているのだ。松坂大輔や黒田博樹のような投手が直面している障害を精査する前に、彼らが日本でどう過ごしたのかを見ておかねばならない。
Dice-Kが日本のマスコミの注目を集めたのは若く、この点では黒田博樹と違うばかりでなく、彼よりも前にアメリカにやってきた投手、そして今後彼に続く投手とも違う。日本では、プロ野球に勝ることはなくとも、プロ野球に負けないほど高校野球の人気がある。高校野球をめぐる漫画シリーズ「タッチ」と「メジャー」があるほどだ。実際、「タッチ」はアニメ番組としては史上最高の34パーセントという視聴率記録を持っている。
日本には高校野球の大きな大会が2つある。選抜高校野球選手権(「春の甲子園)と高校野球選手権(「夏の甲子園」)だ。予選試合が地元でテレビ放送されることもあり、甲子園で行われる本大会の全結果は、日本の公共テレビ放送網NHKで全国に放映される。Dice-Kは1998年の夏の甲子園で並外れたパフォーマンスを見せたために、甲子園の伝説として知られている。Dice-Kは準々決勝で強豪PL学園相手に17回250球という驚くべき投球を見せて横浜高校に勝利をもたらした。それどころか、その前日には148球投げて完封試合を演じていたのだ。その次の日の準決勝で横浜高校は8回で0対6とリードを許していたが、8回に4点、9回に3点と7得点した。
Dice-Kが9回裏に外野から戻って登板し、締めくくった。だが、それが同大会におけるDice-Kの最後の登板ではなかった。翌日、決勝戦で彼は大会史上2度目のノーヒットノーランを演じた。彼は、この奇跡的な大活躍によって日本のロックスター級の人気になり、その後の輝かしいキャリアを駆け登っていった。
黒田博樹も高校時代に好投手だったが、甲子園では遂に一度として実力を発揮することがなかった。彼は南海ホークスでプロ選手としてプレーしていた父親の黒田一博と常に比較されていた。強豪横浜高校にいたDice-Kと違い、黒田がいた上宮高校はむしろクリケットの選手を輩出することで知られていた。黒田はDice-Kのように若いころから有名になることがなかった。
夏の甲子園に出場できる最後の年、選手が前任のコーチに暴行を受けたため、彼の高校は1992年大会に出場できなかった。翌年、黒田は専修大学に入学したが、上宮高校は夏の甲子園に出場して優勝した(2007年夏)。その後の黒田はまたしても不運に見舞われることになる。 Dice-Kも黒田も成功を収めてプロ野球入りしたが、まったく異なる道を辿った。黒田は高校3年でも甲子園に出場できなかったために大半の日本人に注目されておらず、プロ入りは大学卒業まで待たねばならなかった。大学で注目を集めた後(黒田が入った専修大学はどちらかと言えば野球の強豪校ではなく、学業とオリンピック出場クラスの運動選手で知られていた)、彼は1996年のドラフト2巡目で広島東洋カープに指名された。
若き日々を恵まれずにすごした黒田は、カープの1巡目指名でも、後にその年の新人賞を獲得した澤崎俊和の影で目立たなかった。彼は我慢し、先発ローテーションの一角を占めるようになり、2000年から2003年までの連続4季で10勝以上をあげ、1999年から2005年までリーグ1の完投試合数を誇った。「ミスター完投」と呼ばれる黒田はどのチームも欲しがる完成品だった。黒田も良かったが、Dice-Kはもっとすばらしかった。1998年の夏の甲子園で驚くべきパフォーマンスを見せた彼が限りなき可能性を持っていることは明らかだった。メジャーのコロラド・ロッキーズ、アリゾナ・ダイアモンドバックスが熱心に彼を勧誘した。だがDice-Kは日本の有名球団への加入を希望し、日本プロ野球ドラフト会議前に地元の横浜ベイスターズ、または読売ジャイアンツ以外には行かないと宣言していた。
西武ライオンズが指名するとDice-Kはこれを断り、大学に入学してプロ入りを1〜2年遅らせようとした。しかし、70年代から80年代にかけて完成された投手だった東尾修監督がDice-Kと夕食を共にすると心変わりし、Dice-Kは入団を決めた。
彼の高校時代のキャリアは輝いていたが、プロ1年目も同様だった。初登板で相手打者の内角高めに投げたので、相手はDice-Kが目立とうとしてやってのだと思い、マウンドに詰め寄ろうとした。チームメイトたちがダイヤモンドにやって来て騒ぎは治まったが、初日に人々が「怪物」松坂大輔を認識したのは明らかだった。
ルーキーイヤーの次の試練は1999年5月16日のオリックス・ブルーウェーブ戦での鈴木一郎との対戦だった。Dice-Kはイチローを3三振に切って取った。最初が見逃し三振、次が高めのスライダーを空振り三振、三度目が高めの速球を空振り三振だった。松坂は、この試合がプロに「入った」ことを確信し始めた瞬間だと語った。
だが「入った」と確信したのは彼だけではなかった。「彼は神の化身だった」と日本で彼と共に4年間プレーしたスコット・マケインは語った。「大輔が投げると必ず観客が2万人増えた」。松坂の代理人、スコット・ボラスは「日本で彼はマイケル・ジョーダン級だ」と語った。ライオンズでプレーした8シーズンで松坂はオールスターに6回選出され、2001年には沢村賞(日本のサイヤング賞)を受賞、パシフィックリーグで奪三振王になり、最多勝利を3回獲得している。日本で一線級のスターになることは、非常に高い地位につくことだ。昔から、チームのスター選手は地元で最も尊敬を集め、栄光をたたえるスポットライトに照らされ、アメリカのロックスター同様の扱いを受ける。もうひとつの伝統は、どの局かに関わらず、選手とテレビ局の記者、司会者、出演者とのロマンチックな関係だ。鈴木一郎は元NHKアナウンサー福島弓子と結婚。
元ドジャースの石井一久はフジテレビの女性と結婚した。黒田博樹と松坂大輔もこの伝統の例に漏れていない。黒田博樹の妻、雅代は日本テレビのパーソナリティーだった。
だが、大輔は現在の妻、柴田倫世と付き合い始めたときに騒動を巻き起こした。問題は、交際していた時にDice-Kが未成年だったことに始まった。しかし、本当に人々が怒ったのは、倫世が西武ライオンズのライバル、読売ジャイアンツ系列の日本テレビ、すなわちライオンズ系列のテレビ朝日のライバル局の人気アナウンサーだったからだ。テレビ朝日と日本テレビのライバル関係は根強く、同系のケーブルテレビを除いて、西武ライオンズの本拠地ゲームは日本テレビで何十年もの間、一度も放送されることがなかったほどだ。
2006年、野球は第一回ワールド・ベースボール・クラシック開催によって、世界のスポーツに生まれ変わった。世界の16地域を代表する国々がこの国際イベントで競い合った。メジャーの選手たちも母国を代表するために春のキャンプを中断して参加した。世界が注目する中、誰しもがアメリカ、プエルトリコ、ドミニカの各チームが傑出していると考えた。少し落ちて準決勝までは進むと見られていたのが日本だ。
黒田博樹も松坂大輔も、世界の本塁打王であり、日本の伝説的プレーヤー、王貞治が監督を務める名誉ある日本代表に選ばれた。しかし、黒田はいつもの例にたがわず不運に見舞われた。2月24日に行われた練習試合でピッチャー返しの打球を右手に受けて負傷し、大会を辞退することになってしまった。博樹はDice-Kに次ぐ2番手投手に当確だと見られていた。
しかし、Dice-Kにサポートは不要だった。彼は大会を通じて3勝0敗、決勝のキューバ戦ではわずか1失点で、5三振を奪った。大会MVPにも選ばれた。もはや松坂大輔を知らないものはいなかった。
新たに契約したすご腕代理人、スコット・ボラスを通じて松坂大輔がメジャー入りを表明すると、マスコミは大騒ぎになった。11月2日の公式ポスティングまでの10日間にテキサス・レンジャーズ、ニューヨーク・メッツ、ニューヨーク・ヤンキース、ボストン・レッドソックスの全球団がいそいそとDice-Kを勧誘し始め、代理人を「怪物」と怪物級の代理人ボラスのいる日本へ送り込んだ。
ヤンキースは3300万ドル、メッツは4000万ドルで入札した。だが、レッドソックスが驚異的な5111万1111ドルで落札したのだ。この数字がさらにばかげているのは、防御率ベスト5の先発陣、ホールド・ベスト5の中継ぎ陣、セーブポイント上位のクローザー2名の2006年の年俸をかき集めても4880万ドルにしかならないことだ。どうしてこんなに払うのか?
まあ、スコット・ボラスによれば「大輔は日本とWBCで傑出しているし、それはメジャーリーグ球団であれば、彼ほどの才能を持つものは優勝に大きな影響を与えることがわかっているという事実に裏付けられていると思う」となる。大輔はそれでもまだレッドソックスの一員になっていなかった。5100万ドルは契約金ではなく、ポスティングフィーだったのだ。ポスティングシステムとは、日本プロ野球機構とMLBの間で最近締結された選手移籍のシステムだ。日本プロ野球機構のある球団支配下の選手がメジャーでプレーしたい場合、その選手は自球団にその旨を申告し、次のポスティング期間(11月〜3月)にポスティング対象としてもらうよう要求しなければならない。
もし球団が同意すれば、その選手はMLBコミッショナーに紹介される。次にコミッショナーはMLB全球団にポスティング対象の選手を告知し、関心を持った球団間で4日間の非公開入札を行う。メジャー球団は封をした入札額をコミッショナー事務所に届け出る。
4日間が過ぎると、コミッショナーはその選手の所属球団に最高入札額を連絡するが、どの球団かは教えない。すると、日本側の球団は交渉の余地がない入札額を受諾するか拒否するか、30日間の猶予を与えられる。受諾した場合、入札額が公表され、勝ち残ったメジャー球団には選手と30日間の排他的交渉権が与えられる。
選手とメジャー球団が30日間の交渉期間中に合意に達した場合、日本側球団は移籍金としてポスティングフィーを受け取り、その選手は次のシーズンにメジャーのその球団でプレーできる。メジャー球団が選手と契約事項について合意に達しなかった場合、フィーは支払われず、選手の保有権は日本側球団に戻る。選手は次の年以降もポスティングを要求でき、前の年に落札した球団にはなんらアドバンテージが発生せずに手続きが繰り返される。
ポスティングシステムは、野茂英雄やアルフォンソ・ソリアーノのようなスーパースターが、契約を無効にしてメジャーに加入するために、日本プロ野球機構を「引退」して日本側に金銭的損失が生じるのを防ぐために生まれた制度だった。レッドソックスがやっとの思いで大輔と6年間、5200万ドルの契約の詳細について合意すると、大輔がアメリカとプレスにお目にかかるときが訪れた。交渉の最後の数日間、ボラスの事務所の外には4台の中継車と約40名の日本人記者がニュースの到来を待ち受けていた。
日米300名を超える記者たちが歴史的記者会見に臨み、Dice-Kはトレードマークの輝かしい笑顔を振りまいていた。彼の言葉は自信に満ちていたが、びびっていた通訳は誤訳だらけだった。松坂は言った。「夢は夢でしかないので、夢という言葉は嫌いです。夢は現実になりません。だからここにやって来ました。目標を達成するためにです。メジャーでプレーできると確信しています」ノモマニアの時と同様に、マスコミ、特に日本のマスコミはDice-Kのいく所にはどこにでもついて行った。Dice-Kはメジャー初登板のカンザスシティー・ロイヤルズ戦で7回、1失点、10奪三振で勝利し、期待を裏切らなかった。彼が登板するたびにマスコミとファンの一群がついて回った。
「レッドソックスが町(トロント)にやって来ると、何千人もの過激なファン、日本のデビッド・ベッカムのファンたちがロジャース・センター球場になだれ込んで来た」。ブルージェイズの広報、ジェイ・ステンハウスは、日本マスコミ100人以上の宿泊の手配をしたと語った。その多くは日本球界の伝説の選手に夏中ついて回ったのだ。彼は防御率こそ4.40だったが、15勝12敗、奪三振201でシーズンを終えた。
しかし、大舞台に強いことで知られる大輔は、アメリカンリーグ・チャンピオンシップス第7戦の勝利投手になり、ワールドシリーズ第3戦にも勝利を収めた。松坂は日本人投手として初めてワールドシリーズで先発し、勝利を収めたのだ。
黒田博樹はFA権を取得し、2006年にはしようとすればメジャーに加入できていた。ポスティングフィーは発生しないので、黒田にチームを選ぶ権利があった。広島東洋カープは、年俸が高騰すると財政事情が厳しい同球団には負担できないため、FAに対して厳しいポリシーを持っていた。主軸先発投手である松坂大輔と井川慶を失っていた日本球界の西武ライオンズ、阪神タイガースと入札額を競って黒田と再契約するためには高額が必要だった。
しかし、黒田はわずかな年俸アップで契約に合意して4年契約にサインし、前季平凡な成績に終わったカープに残留して日本シリーズに進出したいと願った。この契約には、カープが正しい道に進んでいなかった場合、4年間のいつの時点でもFA選手として移籍先候補球団と交渉できるという条件がついていた。
期待はずれに終わったチームに残るという名誉ある決心ではあったが、2007年に黒田が12勝8敗、防御率3.56だったのにカープが最下位に終わると、移籍は確実になった。黒田はもう十分だと考え、大輔の成功を見た後でもあったので、メジャー移籍を決心した。
テキサス・レンジャーズ、シアトル・マリナーズ、カンザスシティー・ロイヤルズ、アリゾナ・ダイアモンドバックス、ロサンゼルス・ドジャースが黒田と契約しようと関心を示した。マリナーズとドジャースが先行していたのは間違いなかった。両方とも温暖な気候で、日本人が多く住んでおり、いずれも25人のロースターには多くのアジア人選手がいたからだ。マリナーズにはイチローと城島健司、韓国出身の白嗟承(ベク・チャスン)がいた。ドジャースにはメジャー球団最多の5人のアジア人選手がロースター入りしていた。日本人の斉藤隆投手、韓国人の朴賛浩(パク・チャンホ)投手、台湾人の郭泓志(クォ・ホンツィ)投手、台湾人の胡金龍(フゥ・ジンロォン)内野手などだ。
結局、彼はより温暖で、より多くのアジア人が影響を与えているドジャースを選び、3年3530万ドルの契約を結んだ。黒田博樹がメジャーでうまくやっていくかどうかはまだわからない。彼の成績は、シーズンが始まった間もない段階だが例年よりは調子が悪く、1勝2敗、勝ち負けつかずが3試合、20奪三振、防御率3.82だ。だがメジャー1年目にDice-Kがファンから評価されたものが、そのまま黒田博樹にも当てはめられてはいない。
松坂大輔がレッドソックス初の日本人選手であるという事実に則して考えれば、すでにドジャースに在籍したことのある日本人選手の歴史が決定的な判断要因となることは明らかだ。Dice-Kはロックスター並みの人気でやって来て、それを保とうとしているが、一方黒田はむしろ決定的な役割を果たすべき選手として迎えられている。時間がたてば、彼ら偉大な投手たちが野球をどのように変えるのか、将来日本からやって来る選手たちにどのような影響を与えるのかがわかるようになるだろう。
今後のために覚えておくべき名前はイランと日本のハーフ、ダルビッシュ有(21)投手だ。彼は大輔がいなくなった後の日本のビッグスターの道を歩んでおり、技術的にはDice-Kを上回ると見られている。松坂と違って、ダルビッシュは日本マスコミに対して、将来いつ何時にもメジャー移籍は考えていないと公言している。彼がいつ飛躍を試みるのかは時間のみぞが知る。ボビー・バレンタインはこう言う。「かつて日本人選手たちは自分たちのプレーが通用するか試したくてメジャーに行った。かつてアメリカ人選手たちは金を稼ぐために日本に渡った。だが、状況は逆転した。日本人選手にはメジャーで通用することがわかっているのだ」。今後数年間で野球の未来がどうなるのか、野球がどのくらい世界に広まるのかがわかるようになるだろう。思ったよりも早く本当の意味のワールドシリーズを目の当たりにすることがないなど、一体誰に言えようか。
《翻訳終了》
【ゴリ丸の感想】
フ〜 …… 長かったでしょう?
まずは恒例の事実誤認の指摘から。イチローが結婚した福島弓子さんは元NHKではなく、元TBSのアナウンサーです。元NHKは姉の敦子さんです。
また、テレビ朝日と西武ライオンズは同系列とされていますが、系列云々という意味では、両社は関係ありません。
さて、内容ですが、注目されるのは松坂の特異性、すなわち高校時代から図抜けた才能を示し、鳴り物入りでプロデビューし、大活躍して日本での名声を確固たるものにした後にWBCで大活躍したことが背景としてあるためにメジャーに巨額で迎え入れられたことを特筆している点です。
海外移籍市場が成熟しているサッカーでは珍しくないでしょうが、少なくとも野球では、このような例は他にはありません。飛び抜けた完成品として輸出されて、いきなり大活躍したわけですからね。その意味では、負けず劣らず注目されている黒田とはずいぶんと状況が異なります。
それにしても、アジア人選手とアフリカ系アメリカ人選手のメジャー進出事情の比較は興味深いものがあります。また、アメリカが次に注目しているのがダルビッシュだという点も、です。
このサイトは「オープン・ソース・スポーツ・ネットワーク」と名乗っていて、読者が投稿しているものですが、面白い記事でした。
この稿おわり
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