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鋭読 ~英独のニュースから世界を読む~

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沖縄を考える

ニューヨークに "The New York Review of Books"という書評のサイトがあります。ここで沖縄について書かれた本の書評を見つけました。書名は "Descent into Hell"(『地獄への転落』。著者はマイク・イーリーとアラスティア・マクラクリンです。そもそも、沖縄の新聞『琉球新報』が1983年から85年にかけて連載し、後に出版した『証言 沖縄戦―戦禍を掘る』を英訳したものです。(この琉球新報による日本語本は検索したところ、今でも入手可能なようです。また、古書店のサイトでもヒットしました。アマゾンには出回っていません。)ある書籍通販サイトでは、こう紹介されています。『戦禍を逃げ惑い、傷つき倒れた同胞の最期を見とり、埋葬した沖縄戦体験者達が、長らく口を固く閉ざしてきたその未曽有の戦を語る。』
ニュージランド在住のイーリーは永らく新報版の翻訳に取り組み、2011年には日本財団のプログラムで来沖しています。
今回、ゴリ丸がこの書評を取り上げた理由は、新報で英訳本が出版されたことを知ったのと、沖縄県知事選と日米ガイドライン交渉が佳境を迎えている(はず)のに、海外はおろか日本でもロクに報道されないことにじれたのが本音です。
書評でも触れられているように、戦時下における敵国(当時)の市民の声を集めた書籍というのは、ドイツ語でいうAltagsgeschite 文化史、英語でいう micorhistory 日常生活史の手法をもって目に触れるようになってきてはいますが、それでも珍しいと思います。
それでは、"Okinawa: Why They Chose Death" 「沖縄 なぜ死を選んだのか?」です。

(注:リンク、トラックバック、引用は出典を明記した場合に限りフリーです。出典を明記せず、または管理人の承諾なく一部ないし全部を転載することは、これを禁じます。コメントから連絡ください)

<開始>
日本人は広島に原爆が落ちなくても降伏したのだろうか?歴史家たちが原爆投下には理論的根拠があったかというアメリカにとって最も重要な問題のひとつに取り組んできたように、何十年もの間、この問題は論議を呼んできた。状況が変わっていたとして日本が何をしたかは知る由もないが、『地獄への転落:沖縄戦の記憶』という、第二次世界大戦において最も悲惨な地上戦に関する日本人の証言に基づく注目すべき新著において、この問題が見えてくる。
この大作から2つのことが浮かび上がってくる。ひとつは、第二次世界大戦中に数多く傷つけられた敵側の市民個々人の声を広く集めて出版されることは珍しいということ。2つ目には、天皇を含めた多くの日本人、少なくとも沖縄の住民の考えでは、降伏を望んでいなかったということだ。
米軍が唯一地上戦を行った沖縄における大規模攻撃は1945年春に82日間続き、総計すると原爆による死傷者とほぼ同数の犠牲者が出た。米軍の上陸部隊は548,000人の兵士を運ぶ1,050隻で、これは沖縄防衛隊の日本人兵士11万人をはるかに凌駕していた。しかし、日本人は並外れた粘り強さで耐え、米軍が勝利宣言できるまでに77,000人の日本兵と14万人の市民が殺された。米軍側では、14,000人以上の兵士が命を失い、そのうち4,900人は神風(神の風の意)の自殺パイロット3,050人によって倒された水兵だった。ニューヨークタイムズの従軍記者だったハンソン・W・ボールドウィンはこう書いた。「これほどまでに凄惨な戦闘は過去にもなかったし、これからも2度とないであろう」
わたしは当時13歳で、残忍で、かろうじて人間である日本人を米兵がそれでも再び打ち負かしたことを誇りに感じたことを思い出せる。この誇りはマスコミと、「ウェイク島」のような超愛国主義的な映画で強められた。この映画で米軍は敗れるのだが、ごく短期間で逆転するのだ。広島と長崎に原爆が投下されたのち、リベラルおよび左派のアメリカ人には新たな信念が芽生えた。とりわけ彼らの間では、日本人は徹底的に打ちのめされない限り決して降伏しないだろうという原爆投下の理由は利己的であり、誤りだというものだ。今回紹介する新著が出たがゆえに、わたしも考え直しているところだ。
『地獄への転落』に集められた生存者の証言は、そもそも1980年代前半に沖縄の琉球新報が集めたもので、その中で記者たちは市民の戦時の記憶が戦後日本で抑圧されていたことを発見した。ほぼ30年後、翻訳者であり沖縄の専門家であるマーク・イーリーが、アリスター・マクラクリンとともに、戦闘を日本人市民の目から見た証言を英語で出版する許可を琉球新報から得た。このほぼ500ページの本を整理するにあたり、イーリーは章ごとに証言と戦闘を合わせ、加えて彼ら独自の包括的な注釈と分析、特定のテーマに関するメモ、地図、戦闘そのものの時間経過を載せた。巻頭のエッセーにおいて元沖縄県知事の太田昌秀は次のように書いている。「沖縄戦は太平洋戦争におけるどの戦闘と比べても、住民の大半が依然として残っていた状態で戦われた点で異質である」。太田によると、「日本兵の恐るべき犠牲と狂信的な抵抗は米国指導者たちの考えに影響を与え、日本本土に原爆を投下する決定に重要な要素となった」
沖縄の45万人の人口のうち、3分の1が殺され、さらに多くの人々が負傷した。これら殺された人々の多くは全く訓練を受けていないが、弾薬運搬の人手として、看護婦として徴集された10代の若者たちだった。避難した洞窟で亡くなったものもいた。米軍の砲撃や空爆、自殺、降伏されるかスパイではないかと疑った日本兵によってなど、家族全員が全滅したものもある。こうした若者たちや彼らの両親たちの証言は詳細であり、アメリカに敵意を持つものでもなく、心を打つものだ。
10代の少年たちで編成された通信部隊の唯一の生存者が記憶を語る。「お国のためにできるだけ早くお役に立ちたかった」「お国を守るために命を捧げようという猛烈な願望に駆られていました。死を恐れてなどいませんでした」当時少年だった別の人は、彼と彼の友人たちが敵戦線を突破するために行かされた、いわゆる「肉弾突撃」を次のように語った。「死ぬことだけが唯一あり得る結果でした。突撃によって、同級生たちがわたしの目の前で次々に倒れました。彼らは死ぬためだけに突撃したのです。これが戦争です」自分たちが生き残ったことを悔やんでいる人もいる。「死んだ同級生がうらやましかったです」とある沖縄人は回想する。「自分の番が来るのは時間の問題だけだと思っていました・・・遅かれ早かれ死んだ方が楽だと心底思っていました」
別の学生は、すでに戦場に送られた学生たちが友人に宛てて、天皇のために死んだ人々が祀られている本土の「靖国で会おう」と手紙を書いたことを覚えていた。「事態がいかに悲惨に思われても、われわれの神国が戦争に負けることなどあるはずがないと思っていました・・・ですから誰しもが、お国のために死ぬことはこの上ない喜びだったのです」
ある意味では、戦争体験は少女たちによりトラウマとなるものだったようだ。彼女たちは最も悲惨な環境で負傷者の治療や死体処理さえも行う看護婦として徴集された。多くの少女たちは、捕虜になるリスクを冒すよりも自らの命を絶つことができるように軍部から手榴弾を、または医療関係者から青酸カリを渡された。「ちゃんと埋葬できないほど多くの死体がありました。膨らんだ青黒い死体にはハエが群がっていました。もはや人間の体を成していませんでした。でも、一番驚いたのは自分自身にです。死体を見ても泣くことができない冷酷な人間になってしまったかのようでした。冷たい人間に変わってしまったように感じました。」
ある女生徒の看護婦は、「きちんと死ぬ」ことこそ望みだったと語った。別の女性は、米軍に捕虜にされる寸前だった彼女の10人の同級生が教師とともに集団自決を決めたことを証言した。「様子を見に行くと、平良先生が地面に横たわっていて、その周りに少女たちがぐったりと倒れていました。そこら中に肉片が飛び散っていました。三年生のある子の顔は一面血だらけでした。ショックのあまり、何も反応できませんでした。」
自己犠牲こそが正しいとする狂信が蔓延していたが、生き残ることも大切だと思い起こさせられた女性たちもいた。「死ぬことだけがお国に報いることではない。」ある部隊長は指揮下の学生看護婦たちに言い聞かせた。「私には同じ年ごろの子供があるので、皆は自分の子供だと思っている。だから死ぬように指示はできない。諸君は他県の子どもたちには想像だにできない経験をしてきた」
沖縄への猛烈な砲撃と空爆、市民たちが避難した洞窟への毒ガス攻撃をしている間中、アメリカ軍は声を大にして日本人に降伏を呼びかけた。米軍の圧倒的優位は最初から明らかだった。生存者たちは敵のパイロットの顔が見えたと証言した。逆に、捕虜になった人たちが軍人であろうが市民であろうが、恐ろしいアメリカ兵たちは比較的手厚く治療したようだ。ある生存者は記憶を語った。「私はそうしたアメリカ人たちを憎み、恐れていました。同級生も先生も私を放って行ったんですが、アメリカ人はわたしのことを非常に手厚く、親切に治療してくれました。」
イーリーとマクラクランの克明な調査によって、『地獄への転落』には、19世紀後半から日本の教育が非常に国家主義的かつ軍国主義的になったと記されている。沖縄においては、学生たちは天皇へ、したがって国家に対する全面的な信仰を示すように命ぜられ、戦時中、殆どの沖縄の人々はあたかも天皇から命じられたかのように、軍隊による命令に従わなければならなかった。イーリーによると、あらゆる形態の日本帝国陸軍からの強圧的なメッセージにも、降伏よりむしろ死を選ぶべきとする決意が明記されていて、それは軍人から沖縄の人々、とりわけ子どもたちに伝えられることによって高められた。
沖縄、そして日本は激変した。1945年初頭、日本の首相は戦争終結を提言したが、イーリーとマクラクランの記述にある通り、裕仁は最後に一度だけ軍事的に成功すれば「米国および連合諸国は平和的条項を示し、それによって日本は国体を護持できるだろう。日本の国体は言うまでもなく天皇の地位と天皇制によって定まっていたのだから」。首相の提言に従っていれば、「沖縄戦はなかっただろうし、広島や長崎に原爆は投下されなかっただろう」というのが二人の見解だ。事実、ダグラス・マッカーサー大将は天皇の地位保全を求め、終戦からさほど時間が経っていない東京で、少し前まで敵同士だった両名が並んでいる記憶すべき写真がある。裕仁の子孫は今日でも皇位を継承している。この深く心を乱され、かつ啓発される書物から学ぶことは、誤った方向に導かれた何万人もの沖縄の人々が無駄死にしたということだ。
<終了>

【ゴリ丸の独り言】
沖縄戦については日本国内でも議論があるところで、軍部が強制的に集団自殺を行ったのか否か、論戦が繰り広げられたことがありました。何がどうだったにせよ、日本が国を挙げて狂信的になり、国民は総マインドコントロール状態にあったことだけは確かです。これ、なにも自虐史観でもなんでもなく、戦時にはどこの国にも起こり得ることで、ドイツ、イタリアの両ファシズム国家は言うに及ばず、連合国側でも、国民はある意味の異常な精神状態におかれていたということもできるでしょう。
さて、冒頭に書きましたように、敵国の市民の声を知る機会はなかなかありません。大著とも言えるこの翻訳本は、英語圏の人たちに、沖縄戦を生き延びた市民の生の声を伝えたいという著者たちの確固たる信念のなせる技でしょう。大作を翻訳するのってホントにたいへんだと思います。ゴリ丸も経験がありますが、脚注がついていない本だったりすると、すべてについて、原作の著者と同様に調べなければ訳を確定できないのです。たいへんな苦労だったと思います。
なお、今年5月、マクラクランは出版を目にすることなく亡くなりました。合掌

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