FC2ブログ
 

鋭読 ~英独のニュースから世界を読む~

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

シリーズ「沖縄問題を考える」:これもアメリカの見解

沖縄に関する翻訳が数多くなってきましたし、特に最近は、そのほとんどが基地問題なので、この際シリーズとすることにしちゃいました! といっても、今まで通り、気が向いたら(!)海外の見解を紹介する程度なんですが・・・
さて、このブログでは初めての紹介になると思いますが、アメリカの外交問題評議会(Council on Foreign Relations)のブログからご紹介です。この評議会は、アメリカに1921年に設立された外交問題・世界情勢を分析・研究する非営利の会員制組織で、アメリカの対外政策決定に大きな影響力を持つと言われています。機関誌「フォーリン・アフェアーズ」は外交問題の世界では良く知られていますね。
今日取り上げる投稿の筆者はフランク・モンデッリ(って名前ですからイタリア系ですかね)。「スワースモアカレッジを2014年に卒業し、現在はフルブライトフェローズプログラムで沖縄で研究中」と紹介されています。ググってみたら、どうやら本業は琉球継承言語を研究している言語学者のようです。
では、"Frank Mondelli: Can Recent Social Unrest Be Resolved in Okinawa’s Base Problem?"沖縄基地問題において、最近の社会不安は解消できるだろうか?」です。

(注:リンク、トラックバック、引用は出典を明記した場合に限りフリーです。出典を明記せず、または管理人の承諾なく一部ないし全部を転載することは、これを禁じます。コメントから連絡ください)

<開始>
戦後70年を経て、沖縄は今でも駐留米軍の強大なプレゼンスに起因する問題を抱えている。最近、新基地建設を巡る地元住民と日米両軍の緊張は限界に達しており、結果的に一連の事件が起きてしまっている。総体としての日米同盟は、両国のパートナーシップにおいて沖縄が現在果たしている役割に大いに恩恵を受けているが、平和裏に、かつ建設的に政治や社会に起きている現実を導こうとするのであれば、デモ隊と軍当局者の間によりよいコミュニケーションが必要だ。
普天間基地の移設は、これまで何十年間も争点になっている。再配置を支持する論点は、チラシや他の形で一般に宣伝されているように単純だ。すなわち、沖縄で人口の多い南部地域の負担を軽減するというのだ。一方、新基地建設反対派は、沖縄のサンゴ礁や在来種への環境被害を批判しているが、2014年8月に建設が始まって以来、座り込みや新規建設ゾーン外のデモは頻度と強度を増し、数千人の市民が参加することもある。海底調査によって、新基地建設はすでに深刻な環境被害を引き起こしていることが明らかだ。さらに、多くの活動家は、沖縄が今後数十年にわたってその従属的な「戦後」の役割を果たし続けることになるという恐れを表明している。この2週間、彼らはゲート外でパワーポイントを使った学術的な講演を行い、そこでは何人かの学者が9.11、テロリズム、辺野古、さらにはISの連関性について論じている。こうしたデモの多くは生中継され、ツイッターを介して拡散している。
抗議が増えたことによって、デモ隊、米軍、警察、そして日本の海上保安庁の間で事件が増えている。例えば、日本の海上保安庁がデモ隊を強制的に岸から数キロ遠ざけたとして非難されている。多くのデデモ隊は、こうした事件は別々のものではなく、沖縄の人々が受けた長い虐待の歴史の中の最新の事件に過ぎないと見ている。一部のデモ隊の戦術は、夜間に接近する航空機のコックピットにレーザーを発射したり、航空演習を邪魔する意図で風船を放したり、カヌーで海上封鎖を試みるなど、どれも危険なものだ。
地元沖縄の人々によって侮辱的だと見られた米高官による最近の一連の発言は、怒りと不満をさらに炎上させているだけだ。たとえば今年の始め、海兵隊副広報士官は、警察に暴行を受けたデモ隊について次のように書いた:「負傷したふりをするのは、生で見ると笑止ものだ。」3週間前、海兵隊司令官のティム・カオ少佐は、反対運動が日本共産党からお金をもらっていると糾弾した。活動家たちは、こうした発言は政治的に自由な発言と抗議を個人に対する中傷に貶めるものであり、すべての反基地運動の要点がどこにあるのかをわからなくしていると非難している。
新基地建設が進行中であり、太平洋戦争終結70周年にあたる今年、危険はこれまで以上に高まっている。双方には論争の平和的解決に向けて努力する責任がある。デモ隊の懸念のいくばくかを和らげるには、米国は異文化間の調和と透明性を強調すべきだ。那覇の米国領事館および基地の多くは、すでに日本人コミュニティのためにアメリカスタイルのイベントを行っている。こうしたイベントはより大規模かつ体系的に行われるべきで、そうすれば日本の文化に馴染んでいない米兵たちには貴重なものとなろう。日本政府は、沖縄の文化と言語を広めるためにより多くのリソースを充てることもすべきだ。こうした認識は、自分たちの文化と話し方が取り残されていると思っている沖縄の人々を満足させることになろう。一方、活動家たちは、米兵たちを危険にさらすか、または双方に不要な摩擦を生み出すような抗議の仕方をやめるべきだ。デモ隊の中には、沖縄が抑圧されてきた歴史を論拠として、沖縄にいるすべてのアメリカ人を差別するヘイトスピーチを正当化するものがいる。このような事例は、米兵たちに気づかれないままでは済まず、今度は逆にすべての沖縄の人々に対する不穏当な見解を生み出す恐れがある。
異文化間交流の促進に加えて、すべての関係者は建設的な議論のために安全かつオープンな環境を生み出すために協力しなければならない。地元住民と米兵が勇気を持って自分たちの不満を口に出すオープンなコミュニティでの議論は、双方にとって有用かつ示唆に富んだものとして役立つだろう。また、日米両政府は、環境への影響を削減し、評価するために相当な手順を踏み、それを発表し、警察力をより厳しく監視するプランを実行に移し、デモ隊の扱いと無神経なコメントに対する謝罪声明を発表すべきだ。(または少なくとも世間のイメージをきちんと扱えるように担当者をもっとよく訓練すべきだ)
逆にデモ参加者は、環境アセスメントの取り組みにあたっては独自の調査結果と研究でこれに協力するなど、こうした努力を受け容れるべきだし、より大きく、よりイデオロギー的な目標については、いくつかの点で喜んで妥協すべきだ。また、活動家たちは自分たちの抗議が米兵たちを攻撃するものではなく、平和な関係を維持する上で自分たちが積極的な役割を果たすようにする必要がある。双方にとって主要な目的とは、自然に関するものであれ政治的なものであれ、人権をできるだけ高度にしっかりと守ることであり、同時に日米同盟が確かに維持・強化されることなのだから。
<終了>

【ゴリ丸の感想】
一部原文の誤りと思われる表現があります。冒頭の段落、2つめの文で「地元住民と日米両軍の緊張」とあります。(原文は "tensions between local citizens and U.S. and Japanese militaries")Japanese militaryとは自衛隊のことかと理解せざるを得ないのですが、辺野古新基地建設問題について自衛隊は直接的には関わりを持っていません。現地辺野古にも自衛隊は入っていません。(入っていたらたいへんだあ!!)"U.S. and Japanese governments"でしたらわかるんですがね。
さて、本文の内容ですが、新基地反対派も日米両政府を中心とした推進派も現在の緊張状態を取り除いて冷静になりましょうという趣旨です。それはそれとして妥当性のある論理だと思います。
しかし同時に、もし本文のように冷静に歩み寄ったとして、沖縄県民にとっての辺野古新基地建設問題について何かが解決するのでしょうか?
本記事の唯一最大の欠点は、お互いにやり方がよくないので改めるべきだとしか言っていない点です。では、民主的に冷静に非暴力でお互いを尊重したとして、この新基地建設問題について何が解決するのでしょうか?正当な手続きが取られて、これを機になおさら日米同盟が強化されたという日米両政府のアリバイでしかありません。
ジャーナリズムに限らず、公に発信する内容には理屈が通っていなければなりませんが、受信する側は、それが誰にとっての理屈か、その論理によって利するのは誰かを常に意識して受け止めなければなりません。その意味で、本記事は体制におもねたものだと言わざるを得ないのです。
~この稿おわり~

スポンサーサイト

コメント


管理者にだけ表示を許可する
 

 

トラックバック

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。