FC2ブログ
 

鋭読 ~英独のニュースから世界を読む~

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

遠い道のりの途中

ひと月ほど前の記事ですが「ネーションマルチメディア」というタイのニュースサイトから "Part way down a long road" 「遠い道のりの途中」をご紹介します。
東日本大震災の復興については、やらなければならないことも、語らなければならないこともまだまだたくさんあります。
「復興が進行している」「次の段階に来た」「福島はアンダーコントロールだ」
これ、みんな我が国の最高責任者にして、自分でも認めているように国民の安心安全について最終責任を取るべき人が言っていることです。どれもウソだとわかっていて、わかっていながらも「政治的配慮」と復興予算をぶん取るために、これに乗っかっている人がたくさんいます。
そうした実態からすると、ちょっと「フカボリ」が足らなくて消化不良のような記事ですが、日常的にはほとんど記事にならなくなってしまった東日本大震災についてタイのメディアが取材してくれたことに敬意を表してご紹介します。

(注:リンク、トラックバック、引用は出典を明記した場合に限りフリーです。出典を明記せず、または管理人の承諾なく一部ないし全部を転載することは、これを禁じます。コメントから連絡ください)

<開始>
悲劇から4年。仮設住宅に住んでいる日本人はまだ多いが、復興魂は健在だ。

東日本大震災、福島原発事故の2つの悲劇からほぼ4年経つが、勤勉、準備、献身、魂が一体となって、日本は復興に向けてしっかりと歩みを進めている。この間、日本は目に見えない経験を得て、それは今や世界に共有されている。
先日、東京の日本外国特派員協会は、訪日した会員たちを2011年の地震と津波および、それが引き起こした原発事故によって大被害を受けた地域で完遂し、または継続している復興を自らの目で確かめる9日間のツアーを行った。
2011年3月のショックがおさまると、地元および海外のメディアは復興の詳細に注目するようになった。生存した人たちの成功した物語、元気をくれる記事が中心となり、それは今日まで続いている。
準備ができていたからこそ道は続いている。何世紀もの間、地震の被害に苦しんできた日本人は、自然災害に備え、その被害を減じるにあたっては運任せにしない。
彼らは連絡や供給が突然断たれても大丈夫なように常に警戒し準備することを学んできた。
これを明確に表した例が、岩手県釜石市の釜石東中学校で見られた。
生徒たちが2011年の災害を生き延びた話は世界中で一面を飾った。彼らは地震が起きたらどこに集合すればよいのかを事前に知っていたし、教師たちと定期的に訓練していたので、何百人もの子どもたちが助かった。
経済的に言えば、日本が頼りにしている漁業と観光業は持続的にたり得るだけ十分に復活している。宮城県漁業協同組合志津川支所の阿部富士夫さんと高齢の同僚たちは海を愛していると記者に話し、銀鮭の養殖に新技術を導入して利益を増大させ、持続可能にした話をしてくれた。
宮城県南三陸町の民宿「やすらぎ」は居心地の良い伝統的な漁師の住まいで、魚など海産物を提供するレストランがある。ここを運営する三浦千恵子さんは、津波の被害を受けた地域を見に来る観光客は、近隣に全く観光名所がないため、地元産業にはたいへん助かっていると語った。
番屋が宮城漁協大谷本吉支所の事務所として、また地元のコミュニティセンターとしても活用されている。沿岸の数多くの番屋が津波にさらわれた。日本財団がその多くの再建に資金を提供し、船舶、網を買い整える費用を負担した団体もあった。しかし、番屋の再建は漁業に直結するわけではないため優先度合いが低いので、残ったものや再建されたものはコミュニティセンターを兼ねる場合がよくあるのだ。
技術の進歩のおかげで、地震と津波の予報を出し、警告を発し、被害を減ずる日本の能力は大いに進んでいる。
気象庁は全国をカバーする測定機器と警告システムを常に進化させ、2011年の大地震以降多くの改善を行ってきた。
高潮対策センターは、押し寄せる津波を警戒し、防潮堤を閉め、ポンプで海水をくみ出して東京湾を高潮から守っている。そのおかげで東京は数十年間高潮の被害を受けていない。
沿岸部の多くの被害地域において、復旧は再浮上のために避けられない課題だった。日本経済は復旧計画に長期的資金を提供するのに十分なだけの力を持っているが、事業規模は膨大であり、完了までには長期間を要する。これを示しているのは岩手県大槌町だ。プロジェクトマネージャーの神谷未生さんがとてつもない苦労について記者に話してくれた。
彼女によると、インフラの再建だけとっても何年もかかり、津波の被害を受けた膨大な地域の中で広大なスケールで津波に削られた土地を補充するのにも同様に何年もかかる。経費の大半は日本政府が負担するが、一方では2020年夏のオリンピックにも予算が必要だ。しかし、神谷さんは、どちらの目標も同じように達成されるだろうと希望を持っている。
被害地域の復旧が続く一方、南三陸町のように津波の被害を大きく受けた地域の何千人もの住民は仮設住まいを続けている。今のところ住宅を再建する土地などないとNGOピースウィンズジャパンの西城幸江さんは語った。彼女は仮設商店街と、2011年に若干被害を受けた志津川戸倉中学を案内してくれた。
佐藤仁・南三陸町長は復旧には時間がかかるという予測を認めると共に、その多くが海外からの寄付に支えられていることに謝意を表した。
佐藤町長、西城さん、神谷さん、阿部さんたちに、訪問した記者たちは目標を達成しようという強い意志を見てとった。それは、どんなに長くかかろうとも、自らの責務を果たそうというゆるぎない決心なのである。
<終了>

【ゴリ丸の感想】
美しい話にまとまってしまいました。その点では冒頭に書いたように消化不良です。
ですが、ホントに記事にならなくなってしまった復興の現状を日本外国特派員協会が取材して、アジアのメディアが記事を書いてくれたわけですから、その点については大いに評価したいと思います。
ひとつ感じたのですが、地域外の人、特に海外の人から「たいへんだったでしょう。今はどうですか?」と尋ねられて、ネガティブな答えをしたくない、みっともない、恥ずかしいと思う人が思ったよりも多いようです。「いや~、政府や県のやり方じゃだめですよ」とあからさまに発言するのがはばかられるような立場の人も、今回のインタビュー先ではあったのではないかと想像します。
一方、記者氏が認めたように、確かに被災地の人たちの決意は並大抵のものではありません。頭が下がります。そうした強さを持ち続けていなくてはやっていられないという側面もあるでしょう。
同時に忘れてはならないのは、人間は誰しもが強いわけではなく、打ちひしがれて故郷を捨てざるを得ない人、家族を失った喪失感に耐えきれずに仮設で孤独と絶望に命を絶ってしまう人さえいるという現実だと思います。
~この稿おわり~

スポンサーサイト

コメント


管理者にだけ表示を許可する
 

 

トラックバック

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。